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2004年03月

草木がいよいよ生い茂るいやおひの月・・・弥生の語源

2004年03月20日 土曜日

朝起きて、やけに冷え込むなあ、とカーテンを開けると窓の外にボタン雪が舞っていた。少し前まであんなに温かくなって来ていたのに、突然の雪。否応無く桜田門外の変を思い起こす。向かいの建物が霞んでしまう程の雪。午前中一杯降って、午後になって止んだ。あれだけ降っていたのに積もってもいない。万延元年(1860年)3月3日の総登城の日もこんなだったのだろうか。3月、弥生、春という先入観が不思議に思わせるだけで、異常気象でもなく、この時期にも自然に雪は降るのだ。深深と降る雪に見とれながら、そんなことを夢想した。

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2004年03月18日 木曜日

小町忌。平安時代の歌人で六歌仙に数えられる小野小町の命日。命日とはいうけれど、生没年不詳の彼女の命日がどうしてこの日とされているのかは判らない。実は小町忌というのもいくつかあって、4月下旬、10月中旬としているところもある。生誕の地とされる秋田県雄勝町を始め、小町が亡くなったとされる場所は全国にあり、お墓といわれているものもいくつかある。そんな状況だから、命日に諸説があってもおかしくはないし、それぞれの説を支持する人達が各々小町忌を提唱しているのかも知れない。六歌仙というと沢山の歌が残っていそうだけれど、小町の歌と確認されているものは僅か十八首の歌のみ。紫式部や清少納言と違い、文字数にして僅か600字に満たない言葉で平安時代から現代まで日本人の心を捉え続けていることに改めて驚かされる。

花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに 小町

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2004年03月16日 火曜日

文化3年(1806年)のこの日、藤田東湖は藤田幽谷の子として水戸城下に生まれた。東湖は後に水戸学の中心的な存在となり、幕末の尊皇思想を牽引する役目を担うことになる。水戸には何度も足を運んでいるが、実はこのサイトにはまだ藤田東湖生誕の地の掲載がない。藤田東湖生誕の地は現在水戸市中央公民館の敷地となっていて、小さな銅像と井戸が残されている。ここの前は車で何度も通り過ぎていて、銅像の存在も目で確認はしているのだが、車が止められなかったり急いでいたり、何故か今日まで不思議な位に縁がない。これも縁なのかなあ。

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