本妙寺、本勝寺、長遠寺からにしん蔵16棟に移された水戸天狗党823名のうち、353名が当時町人の処刑場のあった来迎寺において処刑された。大きな穴が掘られ、穴の淵で斬首された遺体が次々に投げ込まれたという。彼らが処刑された地に建てられた武田耕雲斎等の墓には討死や病死で亡くなった52名を含め、墓碑15基に411名の名前が刻まれている。
武田耕雲斎等の墓に名前の刻まれている411名を祭神として奉った神社。道路を挟み、武田耕雲斎等の墓と向かいあう様に建つ。境内には彼らが幽閉されたにしん蔵のうちの1棟が水戸烈士記念館として移築されている。間口約6メートル、奥行き約20メートルの蔵1棟に約50名の人間が収容された計算になる。足枷を着けられ、衛生状態も悪く、栄養失調などで体調を崩し、823名のうち14名が病死したという。
京都の本能寺を本山とする法華宗のお寺。水戸天狗党823名は投降すると隣接する本勝寺、本妙寺、長遠寺に収容された。本妙寺には武田耕雲斎、山国兵部、田丸稲之衛門らが収容されたという。
本勝寺 | 水戸烈士幽居之寺碑 |
本勝寺同様、水戸天狗党823名が収容された3ヶ寺のひとつ。
本勝寺同様、水戸天狗党823名が収容された3ヶ寺のひとつ。