弔魂碑
戊辰戦争の弔魂碑が建つ。この弔魂碑は、明治元年6月に水沢藩から白河に出陣し、石切山などで亡くなった17人を悼み、水沢藩留守家28代景福が明治になってから建立したもの。
高野長英は後藤実慶の三男として生まれるが、父親の死後、母親の実家である高野家の養子となった。長英はここで初めて蘭学と接することになる。残念ながら、現在、旧宅内部は公開されていない。
高野長英の生家である後藤家のあったところ。
現在後藤家の屋敷は残っていないが、敷地の一部が公園となっており、その公園内に高野長英誕生之地碑などが残る。
水沢藩留守氏の祖である宗利の創建による水沢留守氏の菩提所。門から入ってすぐ左手に高野長英の墓がある。