薩摩藩士の墓
寺田屋事件の際に伏見寺田屋で亡くなった薩摩藩士9名の墓がある。
お登勢の墓
伏見寺田屋の女将お登勢の墓がある。墓地は大黒寺の斜め向かい。
神功皇后がこの地に武具を埋め、祭ったのが始まりという。203年建立という由緒ある神社。慶応3年12月、近藤勇は伏見奉行所に向かう途中、藤森神社の辺りから高台寺党の生き残りである篠原らに狙撃され、右肩を負傷した。命に別状はなかったものの、この傷がこの後の近藤勇の運命を少なからず左右する結果となった。
鳥羽伏見の戦い前後、伏見鎮撫を命じられた新選組が本陣としたところ。ここで新選組は負傷した近藤勇に代わり、土方歳三のもと激戦を繰り広げた。
現在跡地は市営団地となっている。
伏見奉行所跡 | 伏見奉行所跡碑 |
平安末期、白河上皇の時代にはこの地で院政がしかれたこともあったという。鳥羽伏見の戦いの際、西軍が布陣したところ。西軍の列は小枝橋から竹田街道にまで伸びたという。
鳥羽伏見の戦いが始まったところ。桂川に掛かるこの橋を挟んで対峙した西軍と東軍は、西軍側から発せられた1発の銃声をきっかけに銃撃戦となり、鳥羽伏見の戦いの幕開けとなった。
小枝橋を北東より望む | 鳥羽伏見の戦いの碑 |