西郷隆盛の銅像。落成式のときに隆盛夫人がこれは主人ではないと言ったとか、言わないとか。幕末の有名人でありながら写真が残されていないため、似てる似てないに関わらず、キヨソネの肖像画とこの銅像のイメージが西郷隆盛になってしまっている。
西郷隆盛の銅像の裏手にある彰義隊の墓。この墓のある上野公園は明治元年5月15日の上野戦争の際、彰義隊が立て篭もったところ。
寛永寺清水観音堂の西側にある黒門跡は、上野戦争の激戦地だったところ。黒門は彰義隊士が埋葬された荒川区の円通寺に寄贈された。その後、上野戦争の際の弾痕まで忠実に復元された黒門がこの地に建てられたが現在は礎石の部分が残るのみとなっている。
黒門の礎石 | 黒門の由来碑 |
松坂屋。新選組副長土方歳三が試衛館時代以前に奉公に出ていたところ。
彰義隊が分所として使用していたところ。本堂を含め、全体的に新しい建物となってしまい、往時の面影を探し出すのは難しい。
旧幕臣山岡鉄舟により、明治13年に禅の道場として建立された臨済宗のお寺。山岡鉄舟の他、石坂周造などが眠る。
臨済宗妙心寺派のお寺。幕府奥医師伊東玄朴の墓がある。伊東玄朴は蘭方医として、種痘所(後の西洋医学所、現東京大学医学部)の開設などに尽力した。
天竜院は全生庵の向かい側にある。
天竜院 | 伊東玄朴夫妻の墓 |
高橋泥舟の墓
下町風俗資料館(旧吉田屋)の角を北に折れて、直ぐ左側にあるお寺。幕末3舟の1人である高橋泥舟の墓がある。高橋泥舟は槍の名人として知られ、21歳で講武所教授、25歳で師範役となった。慶応3年遊撃隊頭並となり、将軍警護の任にあたる。