毛利敬親の下で財政改革に着手し、天保改革を主導した村田清風と、村田清風の後を継ぎ、幕末の難局に対処した周布政之助の遺品や資料を展示する記念館。敷地内に清風神社が建つ。記念館には、村田清風が進めた四白(紙・塩・米・蝋)と呼ばれる産業の奨励政策である防長四白政策にちなみ、三隅の民族資料を展示するコーナーも設けられている。毎週火曜日休館。
村田清風記念館 | 清風神社 |
村田家三代(村田清風、大津唯雪、村田看雨)の墓がある。村田清風は毛利敬親の下で「八万貫の大敵」と呼ばれる負債の整理を行い、天保改革を主導した人物として知られる。大津唯雪は清風の次男で、幕末には正義派として行動し、七卿を擁して帰国したが、俗論派に捕らえられて村田姓と家禄を剥奪され、大津姓を名乗った。村田看雨は、唯雪の次男。防長の故事に精通することで知られ、維新資料編纂会の顧問などを歴任し、史料編纂に寄与した。
村田家累代の墓地 |