2000年12月28日 木曜日 神田の古書店街でゲットしたのは、新人物往来社の「幕末維新江戸東京史跡辞典」、吉川弘文館の「明治維新人名辞典」、牛山栄治の「山岡鉄舟 春風館道場の人々」、小倉鉄樹の「山岡鉄舟を語る」の4冊。この小倉鉄樹の本は昭和初期の本でボロボロなのだけど、この人は山岡鉄舟の弟子で山岡鉄舟を直接知る人物であり、牛山栄治は小倉鉄樹の弟子で山岡鉄舟の孫弟子にあたる人物。いずれも欲しいと思っていた本だけに無理をして買ってしまった。人名辞典も嬉しいけれど、これから読むのが楽しみ。 TOP |
2000年12月27日 水曜日 昨日、高幡不動界隈を車でまわっていたら、日野に行ってみたくなったので、朝から中央線で日野に向かう。日野駅界隈は車でまわるより歩いたほうが勝手がいい。井上源三郎の墓がある宝泉寺から始め、大昌寺、日野館、八坂神社と2時間ほど歩いて時計を見たら、まだ早い時間だったので、少し遠いとは思ったのだけど神田の古書店街まで足をのばしてみることにした。この日、欲しいと思っていたのは幕末の人名辞典。欲しいと思った本は沢山あったけど、4冊に思いとどめて帰ってきた。神田は危険だ。 TOP |
2000年12月26日 火曜日 結局、静岡には出発しなかった。最後まで乗り気になれなかったのが理由のひとつ。直前に変更するには少し無理があり過ぎた。昼近くになってやっと布団から抜け出し、USBポート対応のFDDを買いに近所のパソコンショップへ出掛ける。パソコンショップは甲州街道沿いにある。そこからドライブがてら、石田寺に行ってみることにした。新しくなった土方歳三の墓石も見たかったし、今年はまだ1度も行ってなかったことを思い出したのだ。石田寺から高幡不動にまわるとお正月の準備が大詰めを迎えていた。 TOP |
2000年12月25日 月曜日 今年の年末は少し長い休みがとれたので、ぶらっと会津にでも行ってみようかと思っていたら、北関東から東北にかけて、かなりの雪が降っているとのこと。明日の会津の天気予報も80%から90%の確立で雪だった。その位のことは当然予測しておくべきだった。車で行くことを考えて会津はあきらめることに。南のほうならば、と前から気になっていた静岡方面に予定を変更するが、いまひとつ乗り気になれない。予定を変更するには、あまりにも直前過ぎるし、僕の手許には資料が何も無い。さて、どうしよう。 TOP |
2000年12月21日 木曜日 真田太平記の話。朝鮮出兵に向け、京都から九州の名護屋城に向かう豊臣秀吉の軍の中に前の足利将軍足利義昭の姿があったと書いてあった。実体のある将軍ではなかったけれど、それでも前の将軍を配下に組み入れてしまうところに秀吉の自己顕示欲の大きさというのが垣間見える気がした。これがもし本当にあったことだとしたならば、足利義昭は胸中、何を思っただろう。関が原に敗れ、寺子屋の師匠となった長曽我部盛親に似て、この前将軍の一生に興味を持った。 TOP |
2000年12月20日 水曜日 1858年のこの日(安政5年11月16日)、薩摩入りした僧月照とこれを迎え入れた西郷隆盛が先行きを悲観し、鹿児島湾の船の上から入水自殺を謀った。幸運にも西郷隆盛は助けられたが、月照は死亡。46歳だったという。安政の大獄による弾圧は江戸から離れた薩摩の地にあって、なお二人を悲観させるだけの十分なリアリティをもって常に月照の後をついてまわった。安政の大獄が始まってから4ヶ月。この約1年後には、橋本左内らが相次いで処刑されることになる。 TOP |
2000年12月19日 火曜日 焼肉を食べに行った帰りに古書店をのぞいた。司馬遼太郎の『胡蝶の夢』3、4巻と別冊歴史読本『坂本龍馬』を買って帰る。『胡蝶の夢』は松本良順の話。前から読みたいと思っていたのだけれど、また今年も読めないまま年の瀬になってしまった。毎年この頃になると今年読んだ本のことを思い出す。読みたかったのに読めなかった本、今年も沢山ある。バタバタしているうちにあっという間に1年が過ぎてしまって、終わってみれば真田にハマってたりなんかして。(笑) TOP |
2000年12月18日 月曜日 東京上野の公園内に立つ西郷隆盛像。この像の除幕式が行われたのが、102年前のこの日(明治31年12月18日)のこと。酸性雨の問題とかで偶に話題になるこの像は、除幕式の席上、この像を見た西郷夫人が『似ていない。』と呟いたことでも知られているが、西郷さんの立つ上野公園の黒門口は、かつて彰義隊が立てこもり、薩摩を主力とした新政府軍と対峙した上野戦争の激戦地。そこに西郷さんの銅像を立てる必要があったのかなあ、と僕なんかは思ってしまう。 TOP |
2000年12月17日 日曜日 問題。北辰一刀流千葉周作の道場は玄武館。神道無念流斎藤弥九郎の道場は練兵館。それでは、玄武館、練兵館と並び、江戸の三大道場といわれた鏡心明智流桃井春蔵の道場の名前は何でしょう? これって意外と落とし穴だと思うんですよ。知ってる様で聞かれてみると・・・あれ、何だっけって。武市半平太が塾頭をつとめたりしているし、江戸の三大道場ということで小説なんかにも名前は出てるはずなんだけど、どうして他の2つに較べて印象が薄いんだろう。 TOP |
2000年12月16日 土曜日 天気はいい感じ。午前中の用事を済ませて、車で出掛けようと場所を聞いたら、横浜市の旭区とのこと。昨日、調べたのは鶴見区。完全に僕の勘違いであったことが解った。折角、調べたのに調べたときに限って、こんなオチだったりする。旭区のほうは全然調べてなかったし、すっかり出掛ける準備だとかに戸惑ってしまい調べ直す時間も無さそうだったので、史跡をあきらめ、デジカメを置いて出発。今回はあきらめたけれど、あの鶴見区の史跡もいつか行ってみたいなあ・・・。 TOP |
2000年12月15日 金曜日 会社の窓から眺める空は仕事をしている僕らをあざ笑うかの様に澄みきっている。こんなにいい天気なのに仕事をしなければいけないなんてねー。せめてこの天気が週末いっぱい続けばいいのだけれど。そんなことを思いながら明日出掛ける用事のある横浜市の史跡を調べてみた。きっと、史跡なんて見てまわる時間はないのだけれど、もしかしたらということもあるし、デジカメは昨日充電を済ませた。身体のほうも調子が戻ってきたし、あとは天気とタイミングなんだけどねー。 TOP |
2000年12月14日 木曜日 会社帰り、久し振りにぶらぶらっと古書店に足を向けた。実はCDを見るつもりだったのだけれど、いつもの癖で本をチェック。書棚のレイアウトが変わっていて少し戸惑った。各藩の職制だとか、官位なんかに興味がある今日この頃だったので、岩波文庫とか、中公文庫とかの辺りを探していると『覚書 幕末の水戸藩』という本を発見。これは以前、神田の古書店でハードカバーのものを見掛けたことがあったのだけれど、文庫ならばとゲット。何気に水戸関係の本が増えていく。 TOP |
2000年12月13日 水曜日 少し前からちょこちょこ直していた幕末生没年表をアップ。まだまだ人数的にも少ないし、使い勝手の悪いところもあるのだけれど、前のバージョンのものに較べれば、かなり見れる様になったのではないかな、と。しかし、自分でいうのも何ですが、こうしてデータ化してみると幕末のいろいろな側面が見えてくるというか、何というか。ねー。山県有朋とか、板垣退助なんかが長生きだったとか、徳川家茂の余りにも短い生涯とか。そんなのを少しでも感じてもらえたら嬉しいです。 TOP |
2000年12月12日 火曜日 土曜日から4日間、完全に風邪のため、ダウン。どうしてこんなに風邪に対して従順なのかと思ってしまうくらい、風邪菌に弱いゆーきなのであった。流行モノに敏感ってことでもないだろうに。 TOP |
2000年12月09日 土曜日 木曜日位から調子が悪かったのだけれど、とうとう熱でダウン。昨日のうちに医者に行っておいて良かった。外の天気が恨めしいけれど、布団の中で1日過ごす。友達が今日から連休で、飛騨に出掛ける予定だったのだが、冬の間、道路が封鎖されている個所もあるということで行き先を変更したらしい。何処へ出掛けたのだろう。飛騨は山岡鉄舟が幼少を過ごしたところで、関係する史跡も残っているとのこと。春になったら飛騨の方にも行ってみたい。20世紀もあと20日。 TOP |
2000年12月08日 金曜日 野村望東尼は福岡藩の女流歌人で尊攘家だった人。高杉晋作を九州に匿ったりした彼女は、慶応3年に病床の晋作を看護し、辞世となる「おもしろきこともなき世をおもしろく」の上の句に、「すみなすものはこころなりけり」と下の句を添え、晋作の辞世を完成させたことでも知られる。その彼女が亡くなったのが、1867年のこの日(慶応3年11月13日)だったと言われる。62歳だった彼女は、あたかも高杉晋作を追いかけるかの様に維新を迎えることなく、この世を去った。 TOP |
2000年12月07日 木曜日 幕末生没年表のリニューアル作業を再開。この表を見ていると誰が本当の勝者だったのだろうとつい考えてしまう。幕末を切り抜け、新政府の礎を築いた維新の三傑はいずれも折り重なる様にして明治10年前後に亡くなっているのに対し、旧幕臣の榎本武揚や勝海舟らは20年近くも長生きしているし、徳川慶喜に到っては30年以上長生きし、明治天皇が崩御した1年後に亡くなっている。どちらが勝者か、なんてナンセンスかも知れないけれど、彼らはどう思っていたんだろう。 TOP |
2000年12月06日 水曜日 『その時歴史が動いた』をまた見逃した。と、思って調べたら『20世紀十大事件』というタイトルだったので、幕末モノでは無かったと一安心。ついでに今後の予定を調べてみると次回が『脱盟者たちの忠臣蔵』、次々回が『サムライ福沢諭吉 アメリカに立つ』と書いてあった。幕末モノは12月20日の福沢諭吉までないらしい。 それまでに前回の徳川慶喜の話を見てしまわないと・・・と思う。どうもビデオに撮ってしまうと安心して、それで終わってしまったりする。いかん、いかん。 TOP |
2000年12月05日 火曜日 豊臣秀吉の小田原攻めの後、徳川家康は駿河、三河、遠江から関東に移された。家康が長い歳月をかけて育んできた肥沃な土地から関東に移されたことは、秀吉が家康の勢力を削ごうと謀ったことだし、晩年になって家康が諸大名に対して同じことをするのだけれど、実はこれによって家康が城を築いた江戸の町が徳川幕府の礎となり、日本の首都へと発展するとはさすがの秀吉も思ってなかったに違いない。江戸城を築いた家康の眼が優れていたということなのかなあ。 TOP |
2000年12月04日 月曜日 携帯の待ち受け画面。ダウンロードサイトに行くとアイドルの画像とかは豊富にあるのだけれど、歴史系のアイテムというのは家紋くらいしか見当たらない。真田の六文銭もあったけれど、あまり見栄えがしなかったので止めてしまった。じゃあ、歴史系のアイテムって何なのさ、と言われると言葉に困ってしまうけれど、海援隊旗だとかあると面白いかなと。人物の画像も幕末は写真の時代なのだし、坂本龍馬だとか、中岡慎太郎だとか。そういうダウンロードサイトないかなあ。 TOP |
2000年12月03日 日曜日 先月から騒いでいた携帯電話。やっと、i−modeに乗り換えた。早速、自分のサイトへ行って、Bookmarkに追加してみる。アドレスを入力してみて、改めてアドレスの長さに気が付いた。携帯で入力するにはあまりにも長いアドレス。どこかでドメインを取得したほうがいいのかなあ、と思う。自分のサイトを見るとどうしても使い勝手の悪さばかり眼についてしまう。これは、i−mode版だけではなく、PC版のほうにも言えること。時間はかかるけれど、地道に直していかないと。 TOP |
2000年12月02日 土曜日 高知の史跡第2弾をアップ。何とか11月中にアップしたかったのだけれど、結局12月になってしまった。それでも実は見切りアップしてしまったところがあって、継続して調べていたりなんかする。このままでは、夏にまわった高知の史跡を全部アップするだけでも年を越してしまいそう。もう、笑うしかないという感じになってきた。その一方で、Kyoto−Navigatorなるものを立ち上げようともがいてみたり。自分で自分の首を絞めている様な気もするけれど、これも挑戦、挑戦。 TOP |