インフォメーション
2001年01月

彼は彼なりにいろいろと感じたり、考えたりしながら生きている様です。

2001年01月31日 水曜日

1863年1月31日(文久2年12月12日)は、イギリス公使館焼討ち事件のあった日。この日、高杉晋作を中心とする長州藩出身の書生達は、御殿山に幕府が建設中のイギリス公使館を襲撃するため、品川の土蔵相模に集まった。中には、のちの初代総理大臣となる伊藤俊輔の顔もある。イギリス公使館は建設中であったため、この事件が大きな国際問題に発展することはなかったが、幕藩体制に対する一矢になっていたことは間違いがない様に感じられる。ここからわずか5年後、1868年1月31日(明治元年1月7日)、最期の将軍徳川慶喜に追討令が下されることになると、このときの高杉晋作らは知る由もない。

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2001年01月30日 火曜日

小山評定のあった小山城は城址公園として、かろうじてその場所に城があったことを伝えている・・・とのこと。小山評定の碑は小山市の市役所に建てられているらしい。結構、探してみれば、近いところに意外なものが見つかったりする。僕が幕末に転ぶきっかけとなった土方歳三も松代真田藩の祖となった真田信之も、調べてみれば僕が生まれ育った栃木県の宇都宮市を訪れている。住んでいた頃は宇都宮なんて何もないところ・・・だと思っていたのに気がつけば、時代の違う2人の人物が宇都宮という土地で重なった。不思議な偶然。こんな偶然があるから僕は歴史を辞められない。

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2001年01月29日 月曜日

大寒は過ぎたと思っていたけれど、土曜日の雪でまた春が遠のいた感じがする。都内でこれだけの雪が降ったのだから、会津なんてもっと凄いんだろうなあ。会津は、やっぱり3月過ぎにならないとダメか、とちょっと寂しい気持ちになる。考えてみれば、松代に行ったのを最後に遠出らしい遠出をしていない。年末の会津は雪に拒まれて計画倒れになってしまったし、かれこれ3ヶ月旅行らしい旅行をしていない。どこか近場で雪が積もってなくて、幕末の史跡のあるところ、無いかなあ。無性に遠出したくなって来た。

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2001年01月28日 日曜日

1856年1月28日(安政2年12月21日)、日露和親条約により、下田が開港された。前年の日米和親条約に続いて調印された日露和親条約では、下田、箱館の他に長崎が新たに開港されることとなった。アメリカ、ロシアに続き、日本は列強に対して門戸を開いていくことになる。

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2001年01月27日 土曜日

1863年1月27日(文久2年12月8日)、清河八郎の建言した将軍警護の浪士募集案が議決され、松平上総介に正式に下命が下った。考えてみれば、この議決により、のちの新選組や新徴組が生まれたことになる。この日からちょうど5年後の1868年1月27日(明治元年1月3日)、浪士募集に参加し、新選組副長となっていた土方歳三らは、同じ日、火蓋が切って落とされた鳥羽伏見の戦いの中にいた。不動堂の屯所から伏見奉行所に移っていた新選組は奮戦するが、御香宮からの攻撃に抗いきれず、幕府軍と共に大坂城へ退却して行くこととなる。新選組が京都において機能していた時間はわずかにこの5年という短い期間でしかなかった。

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2001年01月26日 金曜日

21世紀になって早くも1ヶ月が過ぎようとしている。こうして毎日、テレビやネットを通じて流れてくるニュースを眺めていて思うことは、歴史として見たときに何て魅力のない時代だろうということ。年表に太字で載りそうな大きな出来事がないとかいう意味ではなく、あまりにも時代そのものが無表情に見えて、数百年後の人達が大河ドラマの素材に選ぶ様な時代ではないなということ。突き詰めると、時代を盛り立てるのはいつの時代でも人の感情なんだろうなあ、と思う。感情豊かな時代というのは、人の心に残るし、感情のない時代というのは人から忘れ去られる。感情のある時代を作る・・・。これが僕らの課題だとしたら、何から始めればいいのだろう。

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2001年01月24日 水曜日

真田昌幸、信之、信繁(幸村)親子が東軍につくか、西軍につくか、密議を謀った犬伏。結果、真田昌幸、信繁が西軍、信之が東軍に組みすることになる訳だが、その犬伏というのが栃木県佐野市にあったとは知らなかった。佐野は東北自動車道のインターチェンジがあるところで、佐野厄除け大師や佐野ラーメンでも知られる。僕は実家へ帰る度、知らず知らずのうちにこの犬伏の近くを通っていたことになる。犬伏は佐野市犬伏新町となっていて、彼らが密議したといわれる薬師堂が残っているとのこと。今度、実家に帰りがてら佐野のインターチェンジで下りてみようと思った。

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2001年01月23日 火曜日

1620年1月23日(元和5年12月19日)、上杉景勝の所領米沢藩の筆頭家老直江兼続が亡くなった。関が原の合戦から20年近く、彼は何を思いながら過ごしていたのだろう。南原幹雄の「謀将 直江兼続」では、関が原の合戦後、伊達政宗と共謀して挙兵する直江兼続の姿が描かれている。20年の間には、彼も1度くらいは考えたかも知れない。武人でありながら、当代きっての風流人でもあった直江兼続。甲に「愛」の字を刻んだ上杉家の名物宰相は、いまも米沢の地に眠っている。

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2001年01月22日 月曜日

昨日の夜から頭痛と寒気がしてダウン。僕のちょろい身体は今年も全開の様だ。一日、アンカと猫にまみれてベッドの中で過ごした。

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2001年01月21日 日曜日

前日の雪が嘘の様にいい天気になった。日曜日の習慣みたいなものでテレビをつけっぱなしにしていると「笑っていいとも」の増刊号の中で、先祖の名前を当てるというコーナーをやっていた。1人の外人さんが出てきて、いろいろと質問が飛び交う。日本に住んでいるというその外人さんは、なんとフランシスコ・ザビエルの子孫だった。その人も数年前までは知らなかったらしい。ザビエル自身には子供がなかったため、兄の系統の子孫ということで直系ではないけれど、同じ血をひく子孫が知らず知らずのうちに日本に住んでいるというのは、これも何かの縁なのかも知れない。

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2001年01月20日 土曜日

「北条時宗」の再放送を見逃す。これで一気に今年の大河に対する熱が覚めてしまった。もともとテレビ番組に対する執着が滅茶苦茶薄い僕は、ビデオをセットするということを余程のことがない限りしない。北条政子とか、北条早雲ならば、もう少し続けて観たと思うのだけど、僕の北条時宗に対する関心もこの程度だったということなのかも知れない。北条といえば、鎌倉2代執権義時の弟時房という人物に興味があって、これは土方歳三や直江兼続に興味を持ったのより古い。いつかきちんと調べてみたいと思っているのだけれど、僕が北条に辿り着くのはずっとずっと先なんだろうなあ。

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2001年01月19日 金曜日

少し前に大河ドラマの話を書いたと思ったら、早くも来年の大河が「利家とまつ」に決定した。前田利家を唐沢寿明、妻のまつを松嶋奈々子が演じるとのこと。凄い配役だとは思うけれど、どうも前田利家のイメージとはかけ離れ過ぎている様な気がする。低迷する大河ドラマを救う・・・という様な記事が載っていたけれど、果たしてホントに救うことになるのだろうか。配役をそんなに凝らなくたって、ストーリー次第で視聴率は取れそうな気がするんだけど、ダメなのかなあ。どうも選考基準にズレがある様な気がする。

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2001年01月17日 水曜日

先週から整理していた日野界隈の写真と函館の写真を一部アップした。函館のほうは、まだアップ出来ていないものが幾つかある。残りの分も早めにアップしたいのけれど。函館といえば、前から気になっていた函館の「函」の字。幕末モノを読んでいると大抵、箱館として登場する。一体、いつから「函」を使う様になったのだろう。字の意味を調べてみたけれど、どちらも箱を指す言葉であるらしい。個人的には箱館のほうが馴染みがあって好きなのだけど、大坂の「坂」の字を「阪」に変えた様なものなのだろうか。

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2001年01月16日 火曜日

日野界隈の写真に加えて、数年前に出掛けた函館の写真の整理を始めた。デジカメではなく、フィルムで撮った写真なので、スキャナで読み込んでから編集する。古い写真ということもあって、発色が良くない。どうしてこうもデジカメ画像と普通の写真からスキャンした画像とでは差が出来てしまうのだろう。やはり、撮り直さなきゃダメなのか。どちらにしてもいずれ函館にはもう1度くらい行ってみたい。前回はゴールデンウィーク中だったにも関わらず、函館はとても寒かった。行けるならば、次は夏に行きたい。

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2001年01月15日 月曜日

「その時歴史が動いた」のサイトに行ってみた。水曜日の放送は、特別番組のため休止とのこと。ふぅん、と思いながら、例によって放送予定の枠から幕末関連のものを探してみる。すると、31日の放送予定が「検証桜田門外の変」と書いてあった。最新の研究をもとに等身大の井伊直弼を描くとのこと。最新の研究成果という言葉にくすぐられる。あと2週間先の話、忘れなければいいのだけど。2週間先といえば、カレンダーのCGIが没ったままになっている。あれも何とかしたいんだけどなー。

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2001年01月14日 日曜日

日野の写真整理、継続中。寒波のため、ちょびっとだけ遅れる見通し。

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2001年01月13日 土曜日

NHKで司馬遼太郎原作の「菜の花の沖」が放送された。北海道のほうでは、この作品を大河ドラマにする会・・・という様なものがあったみたいだけど、1度ドラマ化されてしまったら大河ドラマにするのは余程のことがない限り難しいだろうなあ、と思う。これまで運動してきた人達はどんな思いでこのドラマを見ているのだろう。何故か、そんなことばかり気になって仕方がなかった。大河ドラマというのはどういう基準で決められるのだろう。

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2001年01月12日 金曜日

1868年のこの日(慶応3年12月18日)、新選組局長近藤勇は二条城から伏見奉行所に向かう途中、藤森神社の辺りで高台寺党の篠原泰之進らによって狙撃された。落命は免れたが、右肩に銃創を負い、鳥羽伏見の戦いでは土方歳三に指揮を譲ることになる。近藤勇は沖田総司と共に療養生活を送る。治療を受け、次第に肩の傷は回復していったが、昔の様に刀を振ることは出来なくなっていた。撃剣師匠という言葉を愛した近藤勇にとって、それは死より辛いことだったのではないだろうか。

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2001年01月11日 木曜日

幕末に関連のある曲を集めてMDを作ろうという幕末MD作成委員会のページ。そのランキングボードの得票数が40を超えた。曲名も14曲になり、段々ランキングボードらしくなって来ている。参加して下さっている皆さん、ホントにありがとう御座います。ところで、このランキングボード、前から凄い気になっている曲があってアップしたいと思っているのだけど、曲名が解らずにアップ出来ない曲がある。栗塚さんが土方歳三を演じた「新選組血風録」の主題歌。あの曲名は何ていうのだろう。誰か、教えて下さい。

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2001年01月10日 水曜日

昨年の暮れにぶらっと出掛けた日野界隈の写真の整理を始めた。整理を始めてから土方歳三資料館の写真が史跡便覧にないことに気づいた。まだ、デジカメで撮り直してなかったのか、と気が付いたけれど、後の祭り。普通のカメラで撮った写真ならば探せばどこかにあるはずだけど、探すよりは撮りに行ったほうが早い様な気もする。小島資料館にも行きたいし、そのうち、またぶらっと出掛けて来よう。土方歳三資料館を除けば、日野界隈は大体こんなところかなあ。今週中にアップ出来るといいのだけど。

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2001年01月09日 火曜日

遅ればせながら、明けましておめでとう御座います。という訳で、年末年始を日誌も付けずにのほほんと過ごしているうちに21世紀が幕を開け、またいつも通りの生活が始まってしまいました。通勤電車の中から眺める風景は、年末と何も変わりはなく、休みのほうがまるで夢だったかの様な感じさえしたりして。こうして人は年をとって行くんでしょうね。21世紀になり、幕末がまた少し遠い時代になってしまった気がしますが、マイペースで頑張ろうと思っています。補完計画共々、本年も宜しくお願い致します。

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