2001年10月31日 水曜日 連日の古書店歩き。イギリスの初代駐日公使オールコックが書いた「大君の都」と旧事諮問会編「旧事諮問録ー江戸幕府役人の証言ー」、共に岩波文庫刊を入手。オールコックの「大君の都」は「ペルリ提督日本遠征記」や「ハリス日本滞在記」と共に前から欲しかったもの。古書店の本棚の奥に忘れ去られた様にしまわれていた。「大君の都」の原本は1863年に発行されたもので、1865年にフランスを訪れた外国方調役並小花作之助、塩田三郎、肥田浜五郎らが58フランで購入したという記録もある。ささやかながら、僕にとってはラッキーな日が続いている。 TOP |
2001年10月30日 火曜日 高杉晋作の獄中手記の原本とみられる自筆の文書が佐倉市の国立歴史民俗博物館で見つかった。国立歴史民俗博物館は先日訪れたばかり。木戸孝允の子孫より寄贈された書物の中から見つかったとのこと。それが何故国立歴史民俗博物館なのかは判らないけれど、前回行ったときには佐倉順天堂記念館も改修工事中で入れなかったので、一般公開されたらそれも兼ねて是非見に行きたい。 TOP |
2001年10月29日 月曜日 昼休みに古書店に出掛けた。珍しく目的があって出掛けたのだけれど、探していたものは見つからず、代わりに長谷川伸の「佐幕派史談」という本を見つけた。佐幕派の志士達を描いた作品で、熊谷助右衛門、三浦権太夫、古屋佐久左衛門といった名前が並んでいる。この人の本は「相楽総三とその同志」くらいしか持ってなかったので、これは嬉しい誤算だった。 TOP |
2001年10月28日 日曜日 1週間振りです。先週は仕事で遅い日が続き、自宅のパソコンを起ち上げる時間も気力もありませんでした。もう少し全体的に余裕が欲しいんです。さて、山梨に行ったときの画像をアップしました。山梨はまだまだ見るところが多いです。というか、前回は強行スケジュールで全然見てないに等しいので、近いうちにまた行かなければと思ってます。 TOP |
2001年10月22日 月曜日 ショックなことがひとつ。先日訪れた萱野権兵衛の墓がある興禅寺。実は神保修理の墓もあったらしい。いつもの悪い癖で、突然思い立って出掛けることが多いため、こうしたことが割と良くある。いい加減、下調べだけはきちんとしてから出掛ける癖をつけないと。 TOP |
2001年10月20日 土曜日 将棋の名人位の話。将棋の記録というのは慶長年間まで遡れるそうで、慶長から幕末まで将棋は幕府の庇護を受け、名人は家元制のもとで10代まで代々受け継がれてきたものなのだとか。それが昭和になって初めて実力制となり、ひとつのタイトルとして確立されたという。幕末には将棋盤を挟みながら国事を語り合うというシーンもあったかも知れない。 TOP |
2001年10月16日 火曜日 「その時歴史が動いた」のサイトをチェック。前回の放送が「不平等条約を改正せよ 〜外務大臣・陸奥宗光の決断〜」だったことを知った。再放送の予定は明日の日付になっているが、何故かBS放送だけの様子。後悔先に立たず、とは言うけれど、これは見たかった。テレビ欄もこまめにチェックしないと・・・。 TOP |
2001年10月15日 月曜日 先日、埼玉県教育委員会の検討委員会が、秩父市内の7つの遺跡と2つの調査地について遺跡自体が捏造だったとする見解を発表し、秩父原人の存在が完全に否定された。町興しの一環として秩父原人に期待を掛けていた大勢の人達の夢が砕かれた。けど、遺跡ってそんなに簡単に捏造出来てしまうものなのだろうか。僕にはそっちのほうが不思議だったりする。 TOP |
2001年10月14日 日曜日 このところ仕事が忙しく、帰りが遅くてなかなか更新出来ずにいますが、少しずついろいろと調べたり編集したりしてますので、気長に待って頂ければと思ってます。せめて日誌だけでも更新出来る様に努力しますので・・・。 TOP |
2001年10月13日 土曜日 用事があって白金台に出掛ける。少し早めに家を出て、興禅寺に寄ってから行くことにした。恵比寿から白金まで歩き、興禅寺を探す。興禅寺には会津藩士萱野権兵衛の墓がある。興禅寺の位置が判り辛くて時間が掛かってしまったけれど、萱野権兵衛のお墓は直ぐに見つかった。あの辺りは坂が多いのと久し振りに歩き回ったので、ひどく疲れた。 萱野権兵衛のお墓の写真は近いうちにアップします。 TOP |
2001年10月07日 日曜日 甲府方面に出掛ける。メインは甲府市内にある千葉佐那子のお墓。甲府に着くまではどんよりとした天気だったが、甲府市内に入ると嘘の様に陽があたり始めた。そんなことがとても嬉しい。お墓で手をあわせ、甲府城址へ移動。ここから勝沼を通って甲州街道を東京方面に帰る。連休中日で行きも帰りも渋滞に悩まされた。泊まりにすれば良かった。 TOP |