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2002年02月

史跡散策するにも陽は短いし、寒いし。春が待ち遠しいです。

2002年02月25日 月曜日

復帰はしましたけど、咳は出ます。相変わらずです。先日撮ってきた横浜の史跡の写真の整理を始めました。余談ながら1878年(明治11年)のこの日は初代駐日総領事タウンゼント・ハリスの命日だそうです。駐日総領事となる前、ニューヨーク市の教育局長も勤めたハリスはニューヨーク市立大学の創設者のひとりでもあったが、帰国後は静かな晩年を送ったとのこと。墓はニューヨークのグリーンウッド墓地にあるという。享年74歳。

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2002年02月21日 木曜日

気管支炎でダウン。熱が少し治まってきたので布団の中で松本順日記を読んだ。寝てばかりいるせいか身体中が痛い。

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2002年02月20日 水曜日

気管支炎でダウン。熱がなかったので大丈夫だろうと高を括っていたら39度近い熱が出て会社を休む。布団の中で大人しく寝て過ごす。

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2002年02月19日 火曜日

咳が止まらず、あまりに苦しいので医者に出掛ける。気管支炎と診断を受ける。

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2002年02月16日 土曜日

用事があって横浜に出掛けた。約束まで少し時間があったので前から気になっていた井伊直弼の銅像を探す。桜木町の駅の近くに掃部山というのを見つけ、車で移動。駐車場が見つからず車を止めるのに苦労したものの、無事に井伊直弼の銅像を発見。偶然神奈川奉行所跡を見つけ、それも写真に収めた。そこから横浜開港資料館に足をのばし、久し振りに幕末を満喫。偶にはこういう日もないと。

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2002年02月15日 金曜日

1835年のこの日(天保6年12月29日)、後の会津藩主松平容保は江戸四谷の美濃高須藩邸において松平義建の第6子として生まれた。この年から11年後、弘化3年(1846年)会津藩第8代藩主松平忠恭の養子となった容保は、嘉永5年(1852年)僅か17歳にして第9代藩主となる。その翌年、ペリー率いる黒船が浦賀に来航し、幕末の動乱期が本格的に幕を開けたのは単なる偶然だったのか。藩主となって間もない若い容保を時代の波は容赦なく飲み込んで行く。今年は容保公の生誕167周年。会津藩主となってから150年となる記念すべき年。会津、行きたいなあ。

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2002年02月10日 日曜日

ゲホゲホ言ってるとか書いた直後に熱がでて寝込みました。はっきり言って今年の風邪は長引きます。かなり辛かったです。風邪で体調を崩してなければ、今日は武道館で開催された日本古武道演武大会を観に行きたかったんですが、本調子ではなかったのでさすがに断念しました。大会には天然理心流だとか、心形刀流とか、幕末と馴染みの深い流派が沢山出場した様です。維新後の剣術に対する環境というのは必ずしも恵まれたものでは無かったのではないかと思います。そんな中、絶やさずに繋いだ人達の努力には頭が下がります。

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2002年02月02日 金曜日

あっという間に2月という感じです。久し振りに酷い風邪にやられてゲホゲホ言ってます。身体の弱さはここ2、3年変わってないです。先日書いた「新装版日本医家伝」読んでます。やはり、昨年福井に行った際、笠原良策を時間と天秤にかけて軽視してしまったのは僕の不覚でした。福井に種痘所を設け、種痘の普及に努めた人物だということは知ってましたが、人間的にも魅力のある人物だということを知りました。福井藩恐るべしです。もう1度、次は笠原良策を補完しに行かないといけない様です。

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