2006年02月15日 水曜日 ジャンヌ・ダルクの遺骨がDNA鑑定されるとのこと。この頃、ベートーベンの頭蓋骨だとか、モーツアルトの頭蓋骨だとか、DNA鑑定ブームでもあるかの様に、そういった話題が続いている。モーツアルトの頭蓋骨については、彼の祖母と姪のDNA鑑定結果が照合され、親族関係が証明されなかったため、残念ながら本物ではないという結果に終わったが、ベートーベンのほうは本人の頭蓋骨の一部であることが立証された。ジャンヌ・ダルクの遺骨は半年かけて鑑定を受けることになるという。ところで、ジャンヌ・ダルクの遺骨。ジャンヌ・ダルクが火刑に処されたのは有名な話。そもそもこの遺骨というのはどこからどういう経緯で出てきたものなのだろう。モーツアルトの頭蓋骨だといわれていた骨は、墓堀人が発見したとされる。同じ様な経緯を辿ったものか。しかし、生きた人間に火をかける行為が決して復権裁判なんかで償われるものではない。人間が時として見せる非情な残酷さは、いつになれば消えるのだろう。 TOP |
2006年02月14日 火曜日 本日も増上寺まで足をのばす。ぽかぽか陽気で気持ちがいい。芝公園から増上寺に抜け、信号を渡ってペリー提督像や万延元年遣米使節の碑周辺を散策。公園を抜けたところで増上寺に目を移すと増上寺の後ろに東京タワーが重なって見えた。歴史ある古い建造物と新しい一時代のシンボル。モノクロの木造建築とモノトーンに塗られた鉄筋建築。相反するものが共存する街。増上寺では先日亡くなったプロ野球巨人軍の元監督藤田元司氏の合同葬儀の準備を行っている最中だった。しばしのんびりと立ち止まって、山門から本堂方面を眺める。明日はカメラを持って来ようか。帰りの道々、お台場の石垣で使用されていた石を発見。思わぬところで見つけた幕末。こういう小さな発見がとても嬉しい。 TOP |
2006年02月13日 月曜日 天気が良かったので増上寺まで足をのばす。特に目的があった訳ではなく、少し違う方面に足をのばしてみたかったというのが理由。久々に増上寺の大きな山門を潜り、境内へ。そういえば・・・と、ずっと気になっていた石碑に足を向ける。山岡鉄舟の揮毫となる「弔魂之碑」。以前、来たとき、め組碑の近くにあったのだけ覚えていて、ずっとめ組関連の碑だと思っていた。しかし、改めて碑文を見てみると明治11年8月20日となっており、西南戦争で亡くなった方を祀る碑であるらしい。その碑が「弔魂之碑」だということは境内の案内板で知ることが出来たけど、、、はっきり言って山岡鉄舟の揮毫となる「弔魂之碑」の文字は達筆過ぎて読めませんでした。碑に書かれている文字が書体によらずスラスラ読める様だと、楽しさもきっと倍増するんだろうなあ。 TOP |
2006年02月11日 土曜日 たとえば、現在目の前にある空間と特定の時代の特定の時間における同じ空間を重ね合わせることが出来る装置があったとして、史跡と呼ばれている場所をひとつひとつ検証していったとしたら、ぴったし重なる史跡って全体の何割くらいなんだろう。重なるというのは土地の上に建っている建物や風景が重なるという意味ではなく、歴史上の事件があったとされる場所の緯度、経度と本当にあった場所の緯度、経度が重なるという意味です。わかりづらいな。まあ、よーするに史跡といわれて石碑などが建っている場所が本当に歴史的な事件などの起こった正確な場所なのか、ということです。『ここで起こった』と公に認められている場所の中にも、本当は路地1本違かったり、隣の町だったりする史跡ってあったりするんだろうなと思っています。場所というのはとても大事で、その場所に立ってみると文字だけでは伝わらない沢山の情報が目や耳や肌を通して伝わって来ます。顕著な例が合戦場です。文字でどれだけ多くの情報を得るより、黙ってその場所に立つだけで、どっちの軍勢が有利な立場にあったか、不利な立場にあったか、感覚的に知ることが出来ます。そういう意味で、『本当にその事件が起こった場所』に辿り着きたいといつも思っています。 TOP |
2006年02月10日 金曜日 近所の某ブックオフで前日に書いたことを調査(?)してみました。幕末関連本が3棚独占しているのに対し、南北朝関連本は1冊でした。そんな感じです。しかもその1冊というのが1991年に大河ドラマ「太平記」が放映された年、ドラマにあわせて出版されたもので、帯にその旨が書かれていました。昨年の大河で「新撰組」が放映されたとはいえ、幕末のほうが明らかに間口は広い様です。さて、南北朝時代。僕が最初に転んだきっかけは、先にも書いた通り、足利尊氏と新田義貞でした。僕自身、宇都宮出身ということもあり、同じ栃木の足利尊氏と群馬の新田義貞に郷土的な親近感を覚えたのが最初だと思います。足利尊氏の墓を京都の等持院に訪ね、感動したのを覚えています。新田義貞の首塚は京都の嵯峨野を歩いていて偶然発見し、同じ様に感動したのを覚えています。後に袂をわかち敵対する2人は評価も分かれますが、僕の中ではいまでも同じ地方出身の愛すべき人達のひとりであることに変わりはありません。 TOP |
2006年02月09日 木曜日 吉村昭氏の「生麦事件」を読もうと思っていた矢先、また南北朝時代に転びました。昔は興味の中心が足利尊氏、新田義貞にあったのが、最近はもっぱら後醍醐天皇にその対象が移ってきています。幕末と違い、南北朝を題材とした小説および関連書籍の少なさは相変わらずです。決して人気のない時代ではないと思うのですが、時代そのものの複雑さが影響しているのか、圧倒的に少ないです。関連史跡は沢山残っているし、人物も揃っていて、魅力的な時代だとは思うのですが、幕末と違って初心者が入っていくための間口が狭いという印象だけはどうしようもないです。大河ドラマ「太平記」の再放送とか、リメイクとか、映像に頼るしかないのかな。奈良行きたいなあ。 TOP |