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2006年03月

花粉の季節到来、、、嗚呼

2006年03月30日 木曜日

とりあえず、今年の史跡第1弾をアップしました。港区の芝公園周辺の史跡10件です。同じ芝公園周辺の史跡が手許にあと何件かあるのですが、3月中にアップしたかったので、残りは次回にまわしました。職場周辺の史跡は歩き尽くしたかな、と思っていたら、割りと良く通るコンビニの前に乃木希典邸跡を発見。史跡をコンプするのは、なかなか難しい様です。

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2006年03月24日 金曜日

世界語になりつつある『もったいない』。世界中から日本の言葉が見直される中、肝心の日本の中で『もったいない』の精神が消えかけている。自分もしかり。飽食の時代にも慣れてしまった。明治維新を迎え、急速な近代化に眼が向き始めた辺りから、日本人は何か大切なものを時代の彼方に置き忘れてしまったのかも知れない。世界に誇れる日本であるために、、、先ずは使っていない部屋の電気を消した。

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2006年03月23日 木曜日

手塚治虫の漫画『陽だまりの樹』が目に止まり、出掛けにカバンに押し込んで家を出る。『陽だまりの樹』は手塚治虫の祖先にあたる手塚良仙、良庵という蘭方医の活躍を描いた作品。冒頭で伝通院裏に居を構えていたと書かれている通り、1857年(安政4年)発行の江戸切絵図には三百坂下通りの中程南側角に手塚良仙の名前を見ることが出来る。この辺りには、山岡静山、高橋泥舟兄弟が住んでおり、山岡紀一郎の名前と高橋泥舟が養子となった高橋連之助の名前も見られる。作品中、早々に『鬼鉄』の異名と共に登場する小野鉄太郎は、山岡静山の妹と結婚し、のちに山岡鉄舟となった。江戸切絵図を見ながら、久し振りにこの界隈を歩いてみたいと思った。

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2006年03月22日 水曜日

温かい日が続いたと思ったら、また急に肌寒い天気に逆戻り。今年は花粉の飛散量が少ないはずなんですけど、もうかなり花粉にやられてる感じです。さて、少し前から気になってはいたのですが、リイド社から『伊庭征西日記』という漫画が出版されています。タイトルを見る限り、伊庭八郎が1864年(元治元年)、将軍警護の名目で京都に同道した際につけていた日記『征西日記』を基にしている様ですが、伊庭八郎自体メディアに対する露出が少ないこともあり、久々に見掛けた伊庭の文字に非常に興味をそそられています。どんな描かれ方をしているのか、気になります。

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2006年03月21日 火曜日

この日は、幕末に活躍したイギリスの駐日公使パークスの命日。彼はオールコックの後を継ぎ、1865年(慶応元年)から1883年(明治16年)まで18年に渡り、第2代駐日公使として混迷の日本を見つめ続けた。オールコックが7年で清国公使に転じたのに較べ、彼は37歳から亡くなる2年前まで約20年間、イギリスと日本の橋渡しとして活躍し続けたことになる。明治政府樹立直後には国際社会の中で真っ先に日本国政府として認めるなどしたが、清国公使に転じた2年後、北京にて亡くなった。享年57歳。

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2006年03月20日 月曜日

天気が良かったので、ヒュースケン暗殺現場まで足をのばします。まあ、天気がいいからと行って、暗殺現場に足をのばすというのも、もう何かが麻痺している証拠なのかも知れませんが・・・、こういうことは割と良くあります。ヒュースケンが暗殺されたのは1861年(文久元年)1月14日。赤羽接遇所(現在の飯倉公園)からアメリカ公使館のあった善福寺まで馬で戻る途中、中の橋付近で襲撃されたといい、現在首都高速の下に掛かる中の橋にはヒュースケン暗殺の様子を伝えるレリーフがはめこまれています。ちなみに赤羽接遇所まで徒歩約5分、アメリカ公使館のあった善福寺まで徒歩約15分の距離にあり、途中には清河八郎暗殺現場である一の橋があるというちょっとした幕末スポットになってます。段々温かくなって来ましたし、少し歩いてみるにはちょうどいい距離かも知れませんね。

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2006年03月16日 木曜日

何度行っても相性の悪い場所ってありますね。どう相性が悪いのかというと、何度行っても工事中だったり、そこに行くと決まって天候が悪くなったり。手許にあるその史跡の写真は、空の色が全て真っ暗に曇っています。偶然なのか、必然なのか。必然だとしたらどういう因果なのか。天候だけなら、晴天の日を選んで行ってみればいい訳ですけど、そういう日に限って予定が入って行けなくなってしまったりします。何でしょう。相性なのかなあ。まあ、あきらめずに挑戦し続けますけど。

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2006年03月15日 水曜日

増上寺にある徳川将軍墓所を訪れたときのこと。ここは通常、施錠されていて門から中には入れない様になっています。この日もそうでした。門の中には、徳川2代将軍秀忠や和宮の墓所がありますが、門は堅く閉ざされ、重々しい鍵がかけられています。そんな中、ふと、門の中央足許に視線を下ろすと小さな白い花束が目に止まりました。中に入れずに止むを得ず、ここに供えられたのでしょう。その花束を見ながら、何故かとても心地よく清々しい気持ちになり、思わずそれを写真に収めました。機会があれば、どこかにアップしたいと思っています。著名人のお墓でも結構荒れているところが多いです。まして、この様な光景は初めてでした。この方のさりげない行為にちょっと感動した一日でした。

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2006年03月14日 火曜日

いよいよ、7年目に突入です。最近オフに飢えてます。そろそろ何かしたいですね。それはさておき、仕事のほうが落ち着いたこともあって、いろいろやってます。ずっと放ったままになっていた掲示板のCGIのバージョンアップとか、直接目に見える部分ではないですけど、気になっていたことを細々と順番に消化中です。史跡のアップは、手近なところからになりそうです。史跡のストックも何とか早めにアップしないとどこの写真だか分らなくなりそうです。というか、もうかなり忘れてるかも。。。フィルムで撮影したものに関しては、もう無かったことにしようと心に決めました。画質の問題もありますし、どうせなら撮りに行っちゃったほうが早いんじゃないかと思ってます。まあ、萩とか、奈良とか、広島とか、函館なんて話も出てるので、うまく行けば、今年はちょっと楽しいことになりそうです。

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2006年03月13日 月曜日

リンクチェックをする度にリンク先のサイト様が減っている様で寂しい気持ちになります。休止や閉鎖をされたのには様々な事情があって、苦渋の決断をされたのだろうな、と思います。それは尊重されるべきだと考えます。しかし、読み手側の勝手な気持ちになってしまいますが、感情的にはそんなに簡単にわりきれるものではなく、いつかきっと再開して欲しいという思いを常に持ち続けて来ました。昨日の更新分からリンクを削除するのではなく、残す方向で更新させて頂いたのはそのためです。気持ちを表明することで、何かのきっかけになればいいなと思っています。

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2006年03月12日 日曜日

実はここにアップする文章、ちょこちょこ書いてたりします。ただ、アップする環境が別にあって、そちらとリンク出来ないため、後でまとめてアップなんてことが往々にしてあります。興味のある方は、最新がアップされたタイミングで少し前を探してみて下さい。ランダムに追加されていることがあります。探して頂くほど、大したことは書いてないのですが、1ヵ月、2ヶ月分まとめてアップということを偶にやってますので、懺悔の意味を込めて告白しておきます。ごめんなさい。ついでに言ってしまうと、、、あちこちに書きなぐりしてるメモが見つかったタイミングで、見つかった過去の記事を1日分だけアップなんてこともやってます。ホントにごめんなさい。

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2006年03月05日 日曜日

なんとなく、続けて観てます、功名が辻。つっこみたくなるところは満載ですけど、まあ、それが大河の伝統みたいなものなので、こういうものだと思いながらなんとなく惰性で観てます。史実や設定云々は置いといて、感じるのは昔の大河の様な製作側の意気込みというのが感じられなくなったなあ、ということ。鬼気迫る映像が見られなくなったなあ、と感じることが多いです。ドラマの作りもパターン化されてしまって、演出の新鮮さも感じなくなってしまいましたし、紅白と一緒でマンネリ化は否めませんね。室内セットで簡単に撮影されている画も多く、もっと外で手を掛けて画作りをして欲しいなあ、と思ってます。それが凄い手抜きに見えてしまって、観る側としても熱が入らない・・・の悪循環になってしまっている様な気がします。紅白同様、NHKの看板番組のひとつでもある訳ですし、もう少し製作側が時代だとか、番組に感情移入して取り組んでくれてもいいのになあ、とそこがちょっと残念です。

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2006年03月01日 水曜日

3月です。暦の上ではもう春です。今年は昨年に比べ、非常に花粉の飛散率が低いのだそうですが、なんとなくマスクは手放せません。春の花粉、夏の冷房。苦手な季節がやって来ます。さて、60000ヒットを突破しました。いつもご愛顧頂き、ありがとう御座います。3月14日には、このサイトも7年目に突入します。調子にのって、カウンタの桁を5桁から6桁に変更してみようか、なんてことを考えてます。10万ヒットは何年後になるかわかりませんが、こつこつと続けて行きたいと思っていますので、今後共、宜しくお願い致します。

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