2003年01月26日 月曜日 年末に何気なく入った古書店で幕末の江戸と京都の古地図を買った。僕の場合、京都の古地図を開くと自然に眼で追ってしまうのが壬生。新選組の屯所を探してしまう。しかし、残念ながら入手したものは文久2年のものであるため、地図上には影も形もない。こうして思い返してみると京都の古地図で新選組と記されたものを見たことがない。元治元年以降のものなら地図上のどこかに新選組の名前を見つけることが出来るのだろうか。次は慶応の頃の京都の古地図を探してみようと思う。 TOP |
2003年01月22日 水曜日 パソコンをいぢりながらつけっぱなしになっていたテレビを見ていたら、偶然「その時、歴史が動いた」が始まった。宮本武蔵の話。五輪の書を書いた剣豪くらいのことは知っていたけれど、僕にはこの人に対する時代感覚というのが欠けていて、大坂夏の陣や島原の乱にまで参加していたとは知らなかった。大河ドラマの第1話で早々に佐々木小次郎が描かれていたのを見ると2人の決闘が物語の中心に来るのかな、と想像してしまう。しかし、本編では決闘ではなくて武蔵の内面を掘り下げて欲しいと僕は思う。初っ端から「七人の侍」のパクリだとか言われているけれど、汚名挽回の意味も込めて今後の展開に期待したい。 TOP |
2003年01月20日 月曜日 インフルエンザが流行っている。薬が足りない状態なのだとか。いつもなら真っ先にかかっていそうな僕が今年はまだかかっていない。このまま、冬を乗り切れれば良いのにと思う。そのインフルエンザ、科学的に立証されているのは1900年頃に流行ったものからといわれているが、それらしいと思われるものは紀元前5世紀頃の記録にまでさかのぼることが出来るという。幕末の頃には無かったのではないかと軽い気持ちで調べてみたら、コレラなんかよりずっと前から日本にも存在していたらしいと知って驚いた。伊東玄朴や松本良順の時代にはどんな治療をしていたのだろう。インフルエンザ流行のニュースを見ながら、そんなことが気になった。 TOP |
2003年01月15日 水曜日 1861年のこの日(万延元年12月5日)、アメリカ公使ハリスの書記兼通訳であったヒュースケンが、赤羽接遇所からアメリカ公使館のあった善福寺に戻る途中で暗殺された。暗殺された場所は三田の天祖神社の辺りであったという。首謀者は清河八郎であったとも言われているが、清河八郎もヒュースケンが暗殺された2年後に暗殺された。その場所が一之橋。天祖神社から1Kmと離れていない場所にある。ヒュースケン暗殺の真犯人が清河八郎であったとしたなら、ちょっと恐い話ではないだろうか。 TOP |
2003年01月14日 火曜日 この頃、時代劇が無性に見たくなって、そういえば「大岡越前」の再放送をやってたなあ、と番組を見たら見事に終わっていてがっかりした。サイトで調べてみたら、これまでに15部まで放映されているとのこと。そんな一大シリーズだったとは、露とも知らなかった。しかし、終わってしまったものは仕方がないので次のターゲットを探す。是が非でも時代劇が見たいのだ。番組欄には時代劇の定番である「水戸黄門」の文字。けれど、不思議なことに水戸黄門にだけは触手が動かない。何故だろう、その子孫にはとても興味があるのに。いっそのこと、斉昭を主人公に水戸黄門をリメークしてみてはどうだろう、なんて馬鹿なことを思う。 TOP |
2003年01月13日 月曜日 テレビ番組をハードディスクに録画するHDビデオレコーダ、DVDに録画するDVDビデオレコーダ、ハードディスクに録画してDVDに保存するHDD&DVDビデオレコーダ。各メーカーから機種も出揃ってきて値段も段々手頃な価格になってきた。ビデオテープを保管する場所だとか、録画した番組を探す手間だとかを考えれば、個人的には画質が多少悪い位は補ってお釣りが来る。HDビデオレコーダの中には約120時間の連続録画が可能なものまで出て来た。まだまだ過渡期ではあると思うけれど、新しもの好きとしては、この辺りとても興味をそそられる。 TOP |
2003年01月08日 水曜日 「その時歴史が動いた」のスペシャル。約1時間半にわたり、第1部と第2部でそれぞれ日米和親条約、日米修好通商条約の締結時を取り上げる。先週末くらいからずっと見よう見ようと思っていて、気がついたら始まってから5分が過ぎていた。再放送時にきちんと撮り直そうと思ったけれど、次に忘れてしまっても嫌なので慌ててビデオの用意をして録画を始めた。ああ、今年もこんなだよ、と思いながら再放送の日程をチェックする。17日午前0時15分から約1時間半。絶対忘れない自信がない。 TOP |
2003年01月03日 金曜日 茨城県の鹿島神宮に初詣に行って来ました。2003年はここから始動です。ついでに寄り道をして水戸藩の支藩である宍戸藩の陣屋跡まで行ってきました。市川三左衛門らが水戸城を占拠した際、江戸にいる藩主徳川慶篤の代理で水戸城に向かったのが宍戸藩主松平頼徳。年の初めから、好きな人物のひとりでもある頼徳の治めた宍戸藩の陣屋跡を訪れることが出来たという縁。どうか、2003年が良い年となります様に・・・。 TOP |